幸福の追求について どんな仕組みなのか? 実践的幸福論

「あの数馬さま、人という生き物が犬猫牛馬とどう違うかご存知で」‬ 「さてなあ。飯を食い糞をひり、寿命が尽きれば死ぬ。さほど違わぬが」‬ (‪米村圭伍『風流冷飯伝』H14)

1 「幸福」とは何か

(1)それは、人生の目的である。

  • 人生の目的は合理的に生きることではなく、幸福度(効用)を最大化すること。
  • だとしたら、論理的合理性に従うのではなく、幸福をもたらしてくれる進化的合理性(限界効用の逓減)を前提とした上で、よりよい選択・行動を考えるべき。
  • 脳が論理的合理性でつくられているわけではない以上、合理的な選択・行動が幸福(効用の増大)を保証してくれるわけではない。
  • 幸福とは、直観(進化的合理性)と理性(論理的合理性)の奇妙な綱渡りの中でしか見つからないもの。 (橘玲『シンプルで合理的な人生設計』2023、p72)

(2)その構造 

 幸福の方程式 H=S+C+V

  • 実際に経験する幸福の水準Hは、生物学的な設定点Sと生活条件Cと自発的活動Vによって決定される。
  • Sは遺伝的な初期値(幸福を感じやすいかどうか)、Cは外的要因。
  • Vは(チクセントミハイの)フロー
  • 生物学的な設定点S:幸福感は、性格の中で最も高い遺伝的側面の一つで、双生児研究は、人の平均幸福度における全分散の50〜80%が、人生経験よりもむしろ遺伝的な相違で説明できることを示している。 (ジョナサン・ハイト『しあわせ仮説 古代の知恵と現代科学の知恵』原書2003、翻訳2011、p.52)

 ・ヒトにとっての進化適応環境は数百万年の旧石器時代で、ヒトの脳はそこで生存・生殖の可能性を最大化できるように進化・設計されてきた。 (橘玲、p82)

チクセントミハイ 「フロー体験」こそが幸福  → 遊びでも仕事でもいい

・3つの幸福とは  「成功・お金」(ドーパミン的幸福)  「つながり・愛」(オキシトシン的幸福)  「心と身体の健康」(セロトニン的幸福)

・目標達成ではなく、目標に向かっているだけで脳は「幸せ」になる  → ドーパミンオキシトシンセロトニン   (樺沢紫苑『精神科医が見つけた 3つの幸福』2021)

・お金や社会的地位、美容整形、壮麗な邸宅、権力の座などはどれも、あなたを幸せにすることはできない。永続する幸福感は、セロトニンドーパミンオキシトシンからのみ生じるのだ。 (ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』2017)

2 いかにしてそれを手に入れるのか。

 

(1)目的に応じたプログラムを作る

  ホモ・サピエンスの仕組みに沿ったもの。

 ・人生それ自体は、あなたの思考の産物以外の何ものでもないが、瞑想、認知療法プロザック(SSRI:選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を通じて、自身を作り直す(感情スタイルを変更する)ことも可能  ・これらは、象使い(理性)ではなく象(情動)に働きかけるので有効  ・プロザック 化学的な近道  (ハイト、前掲書 第2章 心を変化させる方法、pp.56-69)

  ・我々は意志の力では生きていない。脳と環境の相互作用によって、自動的に体を動かされ、全て事前に決まっているプログラム通りに反射を繰り返しているだけだ。意志で作っているように見えても、全ての行動は環境からの刺激に対する、反射なのである。 (妹尾武治『未来は決まっており、自分の意思など存在しない。 心理学的決定論』2021、p53)

  ・認知を変えるより環境を変える(転校や転職、転居する)ほうがうまくいく可能性が高い。これが「合理的に成功する」考え方の基本になる。  (橘玲、前掲書p96)  

(2)具体策 どうやって幸福感を増やすのか

  「フロー状態」をもたらすものならなんでもいいのではないか?スポーツ、読書、ギャンブル…ゴールは同じ。

 ・自分で選ぶという「自己決定感」は幸福感に直結する。  (シーナ・アイエンガー『選択の科学』2013)

 ・楽器演奏などの「能力のギリギリを試させられる」タスクは他のことを考える余裕を消し去り、完全に没頭するフロー状態をもたらす。フロー状態の最中には集中していて気づかないが、後から振り返って「幸福だった」と気づく。 (シェリル・サンドバーグほか『Option B』2017)

3 べからず集 仏教は幸福をどう見ているのか。

 よそに求めてはいけない?

・若し人、仏を求むれば、是の人は仏を失す。若し人、道を求むれば、是の人は仏を失す。若し人、祖を求むれば、是の人は祖を失す。 (入矢義高訳注『臨済録岩波文庫、p198)

・(『サピエンス全史』の)ハラリいう仏教の到達点「真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係」感情に重きをおけば強く渇愛することになる。ブッダの教えは「外部の成果の追求のみならず、内なる感情の追求もやめること」 (佐々木閑宮崎哲弥『ごまかさない仏教』2017)

・生きることは本質的にすべて苦しみであって、楽しみはその上に浮かぶ儚い泡のようなもの。その生きる辛さを自分の知恵で解消しろと釈迦はいうわけです。 (佐々木閑、大栗博司『真理の探求 仏教と宇宙物理学の対話』2016、p144)

 ・科学も仏教も生きる意味を与えない。ならばどうする?  ・(大栗)宇宙そのものに意味がないとすれば、生きる目的は最初から与えられているわけではありません。目的や幸福感は自分で見つけるしかないでしょう。  (佐々木、大栗、186)

・大乗『涅槃経』の独自の教え  「如来常住」「一切衆生悉有仏性」  →全ての人が条件さえ整えば、外から誰かに助けてもらわなくてもブッダになることが可能である。 (佐々木閑大乗仏教 ブッダの教えはどこに向かうのか』2019)

衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。 譬えば水の中にいて、渇を叫ぶが如くなり 長者の家の子となりて、貧里に迷うに異らず。 (白隠禅師坐禅和讃 第二節)

此のとき何を求むべき、示寂現前する故に、 当処即ち蓮華国、此の身即ち仏なり。 (白隠禅師坐禅和讃 第七節)

4 先賢の教え

「私にパンと水さえあれば、神と幸福を競うことができる」(エピクロス)  願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ(西行

 ・李白「春日酔起言志」   (春日 醉ひより起きて志を言う)

  世に処(を)るは大いなる夢の若し   胡為(なんすれ)ぞ其の生を労せんや

 ・一休宗純「羅漢、淫坊に遊ぶ図 二首」     羅漢出塵、識情無し   淫坊の遊戯(ゆげ)、也(また)多情   那辺は非矣、那辺は是   衲子(のうす)の工夫、魔仏の情

 ・白居易「老夫」

  世事 心を労するは富貴に非ず   人生の實事は是れ歓娯

 ・唐 普化禅師     明頭来や 明頭打   暗頭来や 暗頭打   四方八面来や 旋風打   虚空来や 連架(れんぎゃ)打

【世俗】投資商品選択の結論(新NISA、iDeCo)

1 自分なりの結論(2023.11時点)

・商品は「eMaxis slim(除く日本)」

・新NISAの証券会社は「SBI証券

2 新NISAでの商品選択等

(1)商品選択

・信託報酬手数料が安いもの(=インデックスファンド)を選ぶ。  ※コストも複利計算されるため。

・具体的には、「eMaxis slim」シリーズのどれか。

〈比較〉
  • (除く日本) 年0.05775%以内
  • 全世界(オールカントリー)年0.05775%以内
  • 全米(S&P) 年0.09372%以内

 ・好みで選択してよい。日本経済の成長に賭けるかどうか。  ・全世界、全世界(除く日本)は、世界経済そのものの成長に賭ける。

〈検討〉eMaxis slim バランス(8資産均等型)について
  • 分散投資」で勧められる場合あり。
  • 手数料率 年0.143%以内(「全世界」の2倍)
  • 投資内訳 日本株12.5%、国内リート12.5%を含む

(2)証券会社の選択

・考慮要素 残高ポイント制度 ・保有残高に対して毎年ポイントを付与してくれるところあり(改悪のリスクあり)  

・比較 eMaxis slim全世界(除く日本)の場合

SBI証券「投信マイレージ」  月間平均保有金額に対し一律0.0175%

マネックス証券  年率0.0175%(SBI証券と同じ)

楽天証券 投信残高ポイント  楽天で運営の全世界、全米のみ設定あり。(「除く日本」は対象外)   

(3)皮算用

  • SBI証券を利用し、「投信マイレージ」で(除く日本)に対するポイントを得る場合  (月間平均保有金額に対し一律0.0175%)
  • 保有残高に対するポイント付与    (1年を経過後)360万円→630円    (5年を経過後)1,800万円→3,150円

3 実践の手順

(1)方針

  • 新NISA枠1,800万円を最速で埋める(複利効果)
  • 年360万円✕5年で達成する。

(2)年の初めにやること

  • 成長枠240万円 年初に一括投資
  • 積立枠120万円 1月をボーナス月設定  【23.11.20 SBI証券だと、ボーナス設定120万円がやれた】

 参考 とんかつ@インデックス投資 さん

 【とんかつの新NISA戦略】

 ・成長投資枠・・・・・・・・240万を年初一括  ・つみたて投資枠・・・月10万積立  ・投資対象・・・・・・・・・全てオルカン  新NISAは『オルカンで1800万を速く埋めるゲーム』って勝手に思ってる。あとは運ゲーです。

4 参考文献

(1)なぜインデックスファンドが有利かの解説

  • 山﨑元、水瀬ケンイチ『ほったらかし投資術』2022(改訂三版)
  • 橘玲『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 知的人生設計のすすめ』(文庫2017,単行本2015)
  • 藤沢数希『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』2006

(2)原典

  • バートン・マルキールほか『ウォール街のランダム・ウォーカー』2023.5(改訂13版)
  • チャールズ・エリス『敗者のゲーム』2022(改訂8版)

〈概要〉

  • アクティブファンドは継続はして市場平均(インデックス)に勝てない
  • アクティブ投資で売買のタイミングを捉えようとする事は、稲妻の輝くタイミングを予測するようなもの

 

【調べメモ】春秋時代の「三家分晋」について

1 「三家分晋」とは

  • 周の諸侯国であった晋から趙・魏・韓の三国(三晋)が独立(周王により諸侯認定)したこと。
  • 晋公室の衰退→六卿の勢力争い(前453決着)→三晋による公室領土の分割(前434)→周の威烈王による諸侯認定(前403)と展開

2 周威烈王はなぜ三晋を諸侯として認定したのか

(三晋はどうやって周王に認定させたのか)

(1)三晋が斉康公を巻き込んで外圧をかけた?

 (田斉と相互に運動した?)

(2)田氏はなぜそうする必要があったのか?

  • 三晋が智伯を滅ぼしたあたりから使者をやり取り。
  • 田氏は、斉の最大の氏族として、智氏のように滅ぼされないためには、もはや簒奪するしかなかった?
  • そのためには三晋を諸侯に押し上げるしかなかった?

〈経過〉 * 斉では、前481年、田恒が簡公を殺し、その弟の平公を擁立 * 晋では、前497年に范・中行氏が追放された。 * 田氏はその後、斉国内の有力氏族(鮑氏や晏氏など)を粛清(晋の状況と似る) * 晋では前514年に魏舒(魏献子)が公族の祁氏と羊舌氏を滅ぼし、六卿の時代へ。

  

3 展開

(1)六卿の争い(六卿のうち四氏がのこる范・中行を追放)

前497年〜 各氏族が趙氏の内紛に便乗?
  • 六卿の1人の趙鞅がトラブルから邯鄲の大夫を殺そうとしたところ、これと通じていた中行寅・范吉射がかえって趙氏を攻めた。
  • 趙氏は逃げて晋陽に籠城した。
  • (趙氏が叛いたと思った)晋公が晋陽を攻めて包囲した。
  • 残る六卿の荀櫟・韓不信・魏侈は、范・中行と対立していたため、これを攻めた。
  • 晋君が范・中行を敗った。
  • 范・中行は朝歌に籠城した。

 「(晋定公の)十五年、趙鞅、邯鄲の大夫午を使う。信ならず。午を殺さんと欲す。午、 中行寅・范吉射と親し。趙鞅を攻む。鞅、走り、晋陽に保ず。定公、晋陽 を囲む。  「荀櫟・韓不信・魏侈、范・中行と仇を為す。乃ち兵を移し、范・ 中行を伐つ。范・中行、反す。晋君、之を撃ち、范・中行を敗る。范・中 行、朝歌に走り、之に保ず。韓・魏、趙鞅の為に晋君に謝す。乃ち趙鞅を 赦し、位に復す。」[晋世家]

 「晋の定公十五年、宣子、趙簡子と與に侵して范・中行氏を伐つ。」[韓世家]  

 「晋の定公の十四年、范・中行、乱を作す。」  「十月、范・中行氏、趙鞅を伐つ。鞅、晋陽に奔る。」  「十一月、筍躒・韓不佞・魏哆、公命を奉じ以て范・ 中行氏を伐つ。克たず。范・中行氏、反って公を伐つ。公、之を撃つ。 范・中行、敗走す。丁未、二子朝歌に奔る。韓・魏、趙氏を以て請いを為す。」[趙世家]

・前494年  > 「晋の定公十八年、趙簡子、范・中行を朝歌に囲む。中行文子、邯鄲に奔る。」[趙世家]

・前490年?  ・趙氏が范・中行の籠城した邯鄲を取った。范・中行氏は斉に亡命した。  ・范・中行の残りの領土は晋公室のものとなった。  

 「晋の定公二十一年、簡子、邯鄲を抜く。中行文子、栢人に奔る。簡子又 栢人を囲む中行文子・范昭子、遂に斉に奔る。趙、竟に邯鄲・栢人を有つ。范・中行の餘邑は晋に入る。趙の名は晋の卿なれど、実は晋の権 を専らにし、奉邑は諸侯に侔し。[趙世家] 「(定公)二十二年、晋、范・中行氏を敗る。二子斉に奔る」[晋世家]

(2)晋公室の衰退(晋公が土地を奪った四氏を咎めるも、返り討ちとなった)

 ・前458年〈笵・中行の追放から30年余り〉   ・知伯が趙・韓・魏とともに(公室のものとなっていた?)笵・中行の土地を山分けにした。   ・晋の出公は怒り、斉・魯の力を借りて四卿を討とうしたが、かえって四卿が出公を攻めた。   ・出公は斉への亡命途上で死んだ。      > ・「出公十七年、知伯、趙・韓・魏と共に笵・中行の地を分かち以て邑と為す。 出公怒り、斉・魯に告げ、以て四卿を伐たんと欲す。四卿恐れ、遂に反き、 出公を攻む。出公、斉に奔り、道に死す。[晋世家]   > ・「知伯、趙・韓・魏と與に尽く其の范・中行の故地を分かつ。晋の出公怒り、斉・魯に告げ以て四卿を伐たんと欲す。四卿恐れ、遂に共に出公を攻む。出公、斉に奔り、道にして死す。[趙世家]

 ・同年?   ・智氏は晋の土地をことごとく併合したかったが、まだ行わず、出公の子を次の晋公(哀公)として擁立した。   ・このとき、晋国の政は智氏の決するところとなっており、晋公の哀公は制御できなかった。   ・智氏はついに笵・中行の領地を保有し、(晋国で)最も勢力があった。

  > ・「知伯、尽く晋を并せんと欲するも、未だ敢てせず。乃ち忌の子驕を立てて君と為す。是の時に当たり、晋国の政は皆知伯に決し、晋の哀公、制するす所有るを得ず。知伯、遂に笵・中行の地を有ち、最も彊し。[晋世家]

(3)智氏の滅亡〈智氏が最大勢力となってから5年後?〉

 ・前455〜453年 晋陽の戦い(三晋が最大勢力であった智氏を滅ぼす)    ・国内の最大勢力となった智氏は驕り、韓・魏に土地を要求した。趙は与えなかったので、これを攻めた。(晋陽の戦い)  ・前453年 三晋は智氏を滅ぼし、その土地を分けた。    > ・「知伯、益々驕り、地を韓・魏 に請い、韓・魏、之を與う。地を趙に請う。趙、與えず。其の鄭を囲みしときの辱めを以てなり。知伯怒り、遂に韓・魏を率いて趙を攻む。趙襄氏懼る。乃ち奔りて晋陽に保ず。」

[趙世家]

 ・> 「定王十六年、三晋、智伯を滅ぼし、其の地を分かち有つ。 」[周本紀]   ・> 「(晋の)哀公四年(前453年)、趙襄子・韓康子・魏桓子、共に知伯を殺し、尽く其の地を并す。」[晋世家]  ・> 「韓・魏、與に謀 を合せ、三月丙戌を以て、三国反って知伯を滅ぼし、共に其の地を分かつ。」[趙世家]  ・> 「韓康子・趙襄子と共に伐ちて智伯を滅ぼし、其の地を分つ」[魏世家]  ・> 「(韓)康子、趙襄子・魏桓子と共に知伯を敗り、其の地を分かつ。地益々大なりて、諸侯より大なり。」[韓世家]

・前439年 晋公室の領地が二邑のみとなる  ・> 「幽公の時、晋、畏れ、反って韓・趙・ 魏の君に朝し、独り絳・曲沃を有つのみ。餘は皆三晋に入る。[晋世家]      ・前404年 長城の戦い〈智氏の滅亡から49年後〉  ・三晋が斉と戦い、勝った。   > 「晋の烈公は長城の戦いの戦果である斉の捕虜や首級を周の威烈王に献上し、斉の康公や魯の穆公・宋の悼公・衛の慎公・鄭の繻公をともなって威烈王に朝見した」[清華簡『繋年』第22章] [『水経注』汶水所引『竹書紀年』も同内容?] [Wikipediaより]

(4)三晋が諸侯に認定される〈智氏の滅亡から50年後〉

 ・前403年 周王が三晋を諸侯として認めた。     > ・「威烈王二十三年、九鼎震す。韓・魏・趙に命じて諸侯と為す。 」[周本紀]

  ・「烈公十九年、周の威烈王、趙・韓・魏に賜い、皆命じて諸侯と為す」[晋世家]   ・「韓・魏・趙皆相立ちて諸侯と為る」[趙世家]   ・「(魏文侯の)二十二年、魏・趙・韓、列して諸侯と為る。」[魏世家]   ・「(韓景侯)六年、趙・魏と倶に列して諸侯と為るを得たり。」[韓世家]   

 ・前389年 田斉も諸侯となる   「太公、魏の文侯と濁澤に会し、諸侯と為らんことを求む。魏の文侯、乃ち使いをして周の天子及び諸侯に言わしめて、 斉の相田和を立てて諸侯と為さんことを請う。周の天子、之を許す。」  [田敬仲完世家]

 ・前376年? 晋公室の滅亡     > ・「公二年、魏の武侯・韓の哀公・趙の敬公、晋の後を滅ぼして、其の地を 三分す。静公、遷りて家人(庶民)と為る。晋、絶えて、祀らず」 (晋世家)

  ・「十一年、魏・韓・趙共に晋を滅ぼし、其の地を分かつ。」(趙世家)   ・「(魏武侯)十一年、韓・趙と晋の地を三分し、其の後を滅ぼす。」(魏世家)   ・「哀公元年、趙・魏と晋国を分かつ」[韓世家]   ・(田斉の威王の)三年、三晋、晋の後を滅ぼして、其の地を分かつ。」[田敬仲完世家]

4 文献等

【調べメモ】戦国時代の田斉(嬀斉)について 田氏代斉

1 「田氏代斉」とは

・姜斉の宰相であった嬀姓田氏が主君の康公を追放し、周王室の認定を得て代わって諸侯となったもの。(田斉)
・国号は変更せず「斉」のままとした。


(1)簒奪の経緯

・(姜斉の康公の)「立ちて十四年、酒と婦人に淫し、政に聴かず。太公乃ち康公を海上に遷し、一城を食ましめ、以て其の先祀を奉ぜしむ。」
(『史記』田敬仲完世家)
【斉太公世家と「海上(海濱)に遷」した時期が異なる】

 「(康公の)十九年、田常の曾孫田和、始めて諸侯と為る(田斉の太公)。康公を海濱に遷す。」
 (『史記』斉太公世家)

 ・「康公の十九年、田和、立ちて斉侯と為り、周室に列し、元年を紀す。」
(『史記』田敬仲完世家)

・前379年
 ・「(姜斉の康公の)二十六年、康公卒す。呂氏、遂に其の祀りを絶つ。田氏、卒に斉国を有ち、 斉の威王と為る。天下に強し。」 
 (『史記』斉太公世家)

「是の歳、故の斉の康公卒す。絶えて後無し。奉邑は皆田氏に入る」
(『史記』田敬仲完世家)

 

 

2 なぜ姜斉を簒奪できたのか

(1)姜斉の有力氏族として

 ・田乞(田釐子)
  田和の曽祖父、斉に亡命してきた陳完から6代目
  ・「小斗大斗」により民の人気を高めた。
  ・子の田盤(田襄子)の代にかけて、有力な大夫を追い落とし、一族を各地の領主にした。

 
(2)周王室への外圧 三晋との連携

 ・戦国末の秦による諸国の併合と異なり、周王の権威が残っていたため、形式的にでもその承認を要した? 
 ・三晋と田氏がお互いに助け合って諸侯としての認定を得るべく活動した?
 
・前485より新しい?(田和の曽祖父の代)
 「田襄子、既に斉の宣公に相たる、三晋、知伯を殺し其の地を分かつ。襄子、其の兄弟宗人をして尽く斉の都邑の大夫と為さしむ。三晋 と使いを通じ、且に以て斉国を有たんとす」
(『史記』田敬仲完世家)


・404年 長城の戦い
 (斉と三晋の戦い、三晋の勝利)

 ・「三晋の大夫は斉に入り、斉の田和・田淏と溋門の外で会盟し、斉は長城を修築してはならず、廩丘を攻撃してはならないとされた。

 ・晋の烈公は長城の戦いの戦果である斉の捕虜や首級を周の威烈王に献上し、斉の康公や魯の穆公・宋の悼公・衛の慎公・鄭の繻公をともなって威烈王に朝見した」
(清華簡『繋年』第22章)

 Wikipedia 長城の戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


・前403
 ・周の威烈王により三晋の韓・魏・趙が諸侯として認定。
 ・前453年に三家が智氏を滅ぼしてから、正式に認定されるまで50年かかっている。

・前389
 「太公、魏の文侯と濁澤に会し、諸侯と為らんことを求む。魏の文侯、乃ち使いをして周の天子及び諸侯に言わしめて、 斉の相田和を立てて諸侯と為さんことを請う。周の天子、之を許す。」
(『史記』田敬仲完世家)

・前376
「(田斉の威王の)三年、三晋、晋の後を滅ぼして、其の地を分かつ。」

(『史記』田敬仲完世家)

 

参考
水野卓「春秋時代の周王 その統治権と諸侯との関係に注目して」2015
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00100104-20150700-0027.pdf?file_id=112718

 

3 なぜ姜斉の国号をそのまま継いだのか【不詳】

・『史記』は結果だけを記載
 「康公の十九年、田和、立ちて斉侯と為り、周室に列し、元年を紀す。」(陳〜世家)

・「晋」を分割せざるを得なかった三晋に対し、田氏は「斉」をまるごと継承できた??(ゆえに一邑の名称を国号にする必要がなかった?

・三晋の韓、魏、趙は氏だけど、そもそもが土地に由来?

 

【23.11.13追加】

 そもそも地名が先にありき?

 国号を気にするのは易姓革命の概念ができたから?(前の王朝名が残ってるとおかしい)

 三晋の趙、韓、魏は氏だが地名由来のもの?

 

4 田斉のその後

・前380年(東周安王の22年、姜斉の康公が没した翌年)
 魏、韓、趙が斉を攻めて桑丘に至った。
(『史記』韓世家の記述。田敬仲完世家では言及なし?)

・前344年
 ・斉侯の田因は自ら「斉王」を名乗った。(斉の威王)
 ・「戦国七雄」の一つに数えられたが、前221年、秦の王賁・蒙恬らの斉攻略により滅亡した。

 

 

5 前史

(1)陳完(陳敬仲、田敬仲)
戦国七雄の田斉の祖

・政争に巻き込まれた公子完が斉に亡命(斉桓公14年)  
 以後、母国の名を氏として陳完と呼ばれる

・前671年?
 「完の斉に奔るや、斉の桓公の立ちて十四年なり」
 (『史記』田敬仲完 世家)

・斉桓公が陳完を田の地に封じた(?出典?)or陳と田の音が通じるためとも。
・子 陳穉、その子 陳湣、その子 陳須無


(2)陳無宇(陳桓子、田桓子)

・陳の亡命公子陳完(陳敬仲)の子孫、陳須無の子(陳完から5代目)

・前539年
 ・政敵の欒施と高彊(共に公族につながる)を失脚させ、魯に追放すると、景公から両氏の領地財産を与えられるが、晏嬰の勧めでそれらを辞退する。
・穆孟姫がそれを哀れみ、交通の要衝の土地を与えられる、経済的に強大化。
・晏嬰は、斉はいずれ陳氏の手に落ちることを予見した。

・この頃、陳は楚の霊王により滅ぼされた。(前531年)


(3)田乞(田釐子)
・陳無宇の子、陳完から6代目

・自領民を施す際には大型の枡を用い、課税する時は小型の枡で取り立てて領民の負担を軽減することで、自領民ばかりか斉国民全体の信頼も集めていった。
・晏嬰に警戒された。

・人気取り
  「田釐子乞、斉 の景公に事え、大夫と為る。其の賦税を民より収むるに、小斗を以て之を 受け、其の粟を民に予うるは、大斗を以てし、陰徳を民に行う。而して景 公、禁ぜず。是に因りて田氏、斉の衆の心を得て、宗族益々彊く、民、田氏を思う」
 (『史記』陳〜世家)
 

・前489年
 ・田乞は大夫たちを率いて(宰相の)高張と国夏を攻撃して両氏を斉から追い出し、10月には晏孺子を退位させた後に暗殺する。
 ・異母兄の悼公を擁立し、斉の宰相となる。

 

(4)田恒(田常、田成子)(前5世紀頃)
 ・『史記』田敬仲完世家は漢の文帝の諱(恒)を避けて「田常」と記載した。左伝は「陳恒」とする。
 
 ・田乞の子。斉簡公のときの宰相。後の「田斉」の端緒を開いた。(とされる。事績が多い)


 ・前481年
  ・他の宰相との政争の中で、田恒は舒で簡公を殺害した。(左伝、哀公14年)
  ・『論語』憲問篇「陳成子、簡公を弑す」
  ・簡公の弟の姜驁(平公)を立てて斉公として即位させた。
  ・田恒は簡公を殺害したことから、諸侯が自分を処断する名目で侵攻してくることを恐れ、侵略した他国の土地を返し、また外交にも努めた。

  「常、既にして簡公を殺す。諸侯の共に己を誅せんことを懼れ、 乃ち尽く魯・衛の侵地を帰し、西は晋・韓・魏・趙氏と約し、南は呉・越 の使いを通じ、功を修め、賞を行い、百姓に親しむ。故を以て斉、復た定 まる。」
  (『史記』陳〜世家)

 ・左伝、哀公15年「冬、齊と平ぐ」「(陳)成子、之を病え、乃ち成を帰す」
 

 ・刑罰を下す権限を独占して、他の有力氏族を粛清し、独裁権を確立した。
 ・安平より東は瑯琊にいたるまでを自らの封邑とし、平公の食邑より広大な領地をもった。

 「田常、斉の平公に言いて曰く、「徳施は人の欲する所なり。君、其 れを行え。刑罰は人の悪む所なり。臣、請いて之を行わん。」之を行いて 五年、斉国の政、皆田常に帰す。田常、是に於いて尽く鮑・晏・監止及び 公族の彊き者を誅し、而して斉の安平自り以東琅邪に至るまでを割き、自 らの封邑と為す。封邑は平公の食む所より大なり。」
 (『史記』陳〜世家)

 

 

(5)田盤(田襄子)
・田恒(田成子)の子、斉の宣公のときの宰相
・兄弟や一族を斉の大夫にした。
・晋の趙無恤・魏駒・韓虎らが智瑶を攻め滅ぼして、智氏の領地を三分すると、趙・魏・韓と使者を通交させ、斉の外交関係を安定させた。

「襄子、其の兄弟宗人をして尽く斉の都邑の大夫と為さしむ。三晋 と使いを通じ、且に以て斉国を有たんとす」
(『史記』田敬仲完世家)

・子 田白(〜前411)、その子田悼子(〜前405)
・田白の子が田和(田斉の太公)

 
6 文献等

史記』田敬仲完世家
(新釈漢文大系 巻86 史記 六 世家 中)


訓読参考 中国史春秋戦国の部屋
http://gongsunlong.web.fc2.com/

田敬仲完世家
http://gongsunlong.web.fc2.com/denkeityuukan-s.pdf

斉太公世家
http://gongsunlong.web.fc2.com/seitaikou-s.pdf


参考 sanomarekishiのブログ「戦国時代29 東周安王(五) 姜斉と晋の滅亡 前379~376年』
https://sanomarekisi.hateblo.jp/entry/35835555

「何もしない」ことの効用について

「私?ただ生きているだけよ。でも、それだけだってけっこう忙しいの。」
(ベルナール・ウェルベル『蟻』2003)

 

1 「何もしない」って、なに?

(1)「有限である意志力を温存する」こと。

 ・我慢した後は、次の誘惑に負けやすい
 → (対策として)意志力を「使わないようにする」
  → 問題になりそうな状況を避ける
 ・意志力の使い方まで計画する
(ロイ・バウマイスター『意志力の科学』2013)
 

・脳のメモリを無駄遣いしない
 ・「もしも注意する必要がなかったら」 
  → できるだけ多くの行動を自動化する
・必要なのは知識を増やすことではなく、ワーキングメモリに負担をかけない
 → あらたなやり方を探すこと
(グレッグ・マキューン『エフォートレス思考』2021)


(2)「資源の節約」

「いったん人生の優先順位を決めたら、さして重要でない選択肢は放棄するか、自動化してしまう」
橘玲『シンプルで合理的な人生設計』2023、p200)

「人生の優先順位を決め、それ以外のものを(ミニマリズムの手法で)徹底的に合理化すれば、その分だけ大事なことに多くの資源を投入できる。」
橘玲、p328)


「本当に重要なのは何か?」
それ以外のことは、全部捨てていい。
(グレッグ・マキューン『エッセンシャル思考』2014,p294)

 

2 何をやるの?

(1)「やらないこと」を最大限に増やす

・最終的な目標が何であれ、価値を生み出すステップにだけ集中する
・無駄な手順には機会コストがかかる。本質的でないステップを取り除けば、その分本質的なことに使える時間やエネルギー、脳のリソースが増える
(マキューン『エフォートレス思考』)


(2)「特別なことをしない」をする

違う環境で、いつもやってることをやる

「旅先でも一切特別なことはしない。観光名所なんか一人で行ってもつまらない。景色なんて見ても2分で飽きる。食事も一人の時はできるだけ短時間で済ませたい。
マクドナルドで100円のドリンクを飲みながら持ってきた本を読んだりスマホでネットを見たりする。」
(pha『ひきこもらない』2017)


「学ぶこと、そして趣味に(回帰し)没頭することだけでも、素晴らしい旅の過ごし方だ。「そんなこと、どこでもできるのに」という罪悪感はいらない。ビーチで日焼けしないともったいないと思う必要もない。違う環境でやれば、心向きも違ってくる。」
(ジョン・フィッチほか『戦略的休息術 タイム・オフ』2023.4、p355)


(3)受け入れる(あるがまま)

「問題がある」状態を楽しむ
 → 「すべての問題を解決済みにする」という達成不可能な目標を諦めよう。そうすれば、人生とは一つひとつの問題に取り組み、それぞれに必要な時間をかけるプロセスであるという事実に気づくはずだ。」
(オリバー・バークマン『限りある時間の使い方』2022、p210)


「人間であることの痛みはつらい。でも禅僧のシャーロット・浄光・ベックが言うように、それが耐えがたいのは「治療法があるかもしれない」と思っているときだけだ。痛みが必然であることを受け入れれば、自由がやってくる。」
(バークマン、前掲書、p253)

「解決できる問題は、すでに解決されてしまっている。だとしたは残された問題は、なんらかの制約があるために単純な解決が不可能なもの、すなわちトレードオフだけだ」
橘玲、前掲書)

重力問題
「解決できない問題を解決しようとして悩むのは人生の無駄」
橘玲、前掲書)

 

3 なぜ「なにもしない」のは困難なのか?

(1)(ヒトは)コントロール不能な状態から脱出したい

どっちがボールを持ってる?の問い。
不完全な解決でも、とにかく手放してしまいたい。
そのためにもがいてしまう。

「難しい問題に直面した時、僕たちは未解決の状態に耐えられず、とにかく最速でなんとかしたいと思う。コントロールできないという不快感を逃れるためなら、本質的な解決策でなくても気にしない。だから意味もなく相手にキレてしまったり、うまく進まないプロジェクトを投げ出してしまったり、始まったばかりの恋愛を放棄してしまったりする。」
(バークマン、p209)

 

(2)(偽りの)達成感を得たい(焦燥感)

「おそらく多くの人は、愛するものかもなにかを立ち止まって考えることもせずに、偽りの目標に向かって走り続け、忙しさという名の不満足で溺れかけている。
 溺れている方が、真剣に考えるよりもずっと楽だからだ。」
 (フィッチ、前掲p299)


「何ひとつ達成できなかった。それでいて、過労で死んだ」
 (シオラン『告白と呪詛』1994)

 


4 先賢の教え

・「そのわけを訊ねた一人に答えて、紀昌は懶げに言った。至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。」
 (中島敦名人伝』)


・「すべての行動の基本は余暇である」
  アリストテレス(出典?)
  
・唯だ虫能く虫たり、唯だ虫能く天たり。
 (『荘子』庚桑楚篇)

マルクス・アウレリウス・アントニヌス
 「きゅうりが苦い?捨ててしまえ。いばらの道が目の前にある?避けて通れ。それだけのことだ。」

「静けさを求めるなら、動きを減らすべきだ。つまり、絶対に必要なことのみを行うのだ。すべきことは、少なければ少ないほど、いい。不可欠なものはそんなには多くない。それ以外を排除すれば静寂が訪れる。いつの瞬間も自問するのだ。『これは真に必要か?』と。」


5 文献

ジョン・フィッチほか『戦略的休息術 タイム・オフ』2023

橘玲『シンプルで合理的な人生設計』2023

オリバー・バークマン『限りある時間の使い方』2022

グレッグ・マキューン『エフォートレス思考』2021
 
pha『ひきこもらない』2017

グレッグ・マキューン『エッセンシャル思考』2014

ロイ・バウマイスター『意志力の科学』2013

シオラン『告白と呪詛』1994